北極探索の歴史と北極点への挑戦
COLUMN | 2019.10.31
北極探検の歴史は、人類が大西洋沿岸の人々がその北方の海域、すなわち北極海にどのように進出したかを記すものとも言えます。
かつて北極域の探検の主な舞台は主に北極海、シベリアおよび周辺でした。
ですが海氷分布の地域特性、気候変動、技術進化などにより大きく舞台が広がっています。
15世紀以降の探検、大航海時代
いわゆる北極探検史は16世紀のヨーロッパ人たちの探検活動の記録とすることがほとんど。
ですが中世における北極の温暖期、ヨーロッパではバイキングが活動した時代(8世紀〜12世紀)にも北極圏への冒険は行われていました。
983年、ノルマン人のエイリーク・ソルヴァルズソンによるグリーンランドへの移民、北米大陸(ニューファンドランド)への航海が行われたことも記録されています。
その約200年後、1194年にもノルマン人によってスパーバル諸島が発見されました。
ですがこの説は諸説あり、ロシア人による発見説、発見時期なども異論が残されています。
大航海時代とほぼ同時期に行われた北極海への探索
コロンブスの航海に代表される大航海時代は15世紀から始まりました。
時を同じくして大西洋北方海域、すなわち北極圏への探索もほぼ時を同じくしてスタート。
きっかけとなった出来事の一つは1494年のトルデシリャス条約の締結。これにより領土分割が行われました。
ポルトガルとスペインの領土分割から締め出されてしまった英国、オランダは北東航路、北西航路の開拓を目指したと言われています。
英国王の命を受けたジョン・カボットは、1496年〜1497年の航海でニューファンドランド、ラブラドールなどの大陸を再発見。これが後年の英領カナダの礎となりました。
メルカトールによる地図の作成
ジョン・カボットの大陸再発見から時が経った1589年、ベルギーの地図学者メルカトールは北極中心の地図を制作しています。
1594年、メルカトールの死後も北極図は出版され、探検家たちの様々な発見により随時修正を加えられることで、地図はより正確になっていきます。
メルカトール図に描かれた最初の北極域は、実際の大陸の配置とは異なるものでした。ですが人類にとって想像の世界であった北極域を明確にイメージするための一歩として、極めて貴重な研究資料となりました。
冒険商人会社の設立と大西洋方法海域の探索
1551年、ロンドンに領土や資源の発見を目的とした冒険商人会社が設立。
これにより多くの探検が始まります。
- 1553年…ウイロビーによる北東航路探検
- 1576年…フロビシャーによるバフィン島探検やモンゴロイドとの接触
- 1585〜87年…デービスによる航海者として人類初の北極圏(北緯66度33分)通過とデービス海峡の発見
- 1607〜1609年…ハドソンによるハドソン海峡、ハドソン湾の発見
- 1615〜1616年〜バフィンによるジョーンズ海峡、ランカスター海峡などの北西航路の糸口となる航路の発見、磁針の大きな振れから北磁極の存在を予測することによる海上での経度観測の実現
など次々と人類史に残る大きな発見を次々と残していきます。
以降も英国をはじめとし、オランダも北西航路、北極への探索を行うことで、多くの大陸や海域が発見されていく時代となりました。
北極点到達への挑戦
北極点への探索は17世紀から挑戦が行われています。
大まかな流れは下記の通り。
北大西洋、グリーンランド海 | ||
1596〜 | ウィリアム・バレンツ(蘭) | 西スピッツベルゲン再発見 |
1606 | ヘンリー・ハドソン(英) | 北緯80度23分到達 |
1827 | エドワード・パリー(英) | スピッツベルゲン島よりソリで北上 |
1893〜96 | フリチョフ・ナンセン(ノ) | フラム号による北極横断 |
1900〜01 | アブリッジ公(伊) | フランツ・ヨセフ諸島空北上 |
1912〜14 | セドフ(露) | フランツ・ヨセフ諸島空北上、遭難 |
スミス海峡ーケーン湾ーケネディ海峡 | ||
ホール湾、ローブソン海峡、リンカーン海 | ||
1852 | E・イングレフィールド(英) | スミス海峡探検 |
1853〜55 | エリシャ・ケーン(米) | ケーン湾探検、ケネディ海峡へ |
1860〜61 | アイザック・ヘイス(米) | ケネディ湾探検 |
1871〜73 | チャールス・ホール(米) | ローブソン海峡北へ到達 |
1875〜76 | ジョージ・ネアーズ(英) | エルズミア島、北極点隊 |
1875〜76 | アレン・ヤング(英) | 北西航路、スミス海峡探索(ネアーズ隊救助) |
1881〜83 | アドルフス・グリーリ(米) | エルズミア島、グリーンランド北岸探検、IPY-1 |
1884 | R・ピアリー(米) | グリーンランド横断試行 |
1891 | R・ピアリー(米) | グリーンランド北部横断 |
1893〜95 | R・ピアリー(米) | グリーンランド北部横断 |
1898〜02 | R・ピアリー(米) | ネアーズ海峡、グリーンランド北岸探検 |
1905〜06 | R・ピアリー(米) | ローブソン海峡北探検 |
1908〜09 | R・ピアリー(米) | エルズミア島より北極点到達 |
1596年のバレンツ、1606年のハドソンの北極海北上への航路は北緯80度に達しているものの、当時は北極点を目指すという意図はなく、北回りでのアジアへの航路探検の一環でした。
北極点到達の意図はそれから200年後ほど。
1821年、イギリス国会は北極点到達に賞金を設定したことで、多くの探検家が北極点到達を目指すようになります。
様々な探検家が北上ルートを発見、効率的な手法を発見し続け、ついに1909年4月6日、リンカーン海から犬ゾリ旅行によってロバート・エドウィン・ピアリーが北極点への到達を成功させます。
20世紀以降も続く北極域との関わり
多くの探検家が北極を目指したことは人類の資産となったことは言うまでもありません。
その後は科学観測の時代に突入し、多くの国が国際共同観測に参加しました。
1978年には日大隊北極点到達、植村直己氏による犬ゾリ北極点単独到達など、日本も北極域への関わりに参加しています。
地球温暖化が叫ばれる今日。21世紀の人類がどのように北極域に関わっていくのかは、非常に重要なテーマと言えるでしょう。