国際地球観測年(IGY)とは?その歴史とプロジェクトの成果について
COLUMN | 2020.03.06
皆さんは、かつて世界規模の研究プロジェクトとして実施された「国際地球観測年」をご存知でしょうか?
国際地球観測年とは、南極や北極を始めとした極地を中心に、オーロラ、大気光、宇宙線、 地磁気、氷河といった様々な分野の観測を世界40ヶ国以上が総力を挙げて行った国際学術協力事業の1つ。
「International Geophysical Year」の頭文字、通称「IGY」と呼ばれる本プロジェクトでは、わずか1年程度の短い期間でありながら多くの成果を挙げたことでも知られています。
今回は、そんな国際地球観測年について、その概要や歴史的意義、さらにはプロジェクトを通じた具体的な成果に至るまで詳しく解説いたします。
1 そもそも国際地球観測年(IGY)とは?
「国際地球観測年(IGY : International Geophysical Year)」とは、1957年7月1日から1958年12月31日の18ヶ月間に渡って実施された国際的な科学研究プロジェクトの1つです。
国際地球観測年に参加したのは、日本、アメリカ、ロシア(旧ソ連)といった国を含むなんと世界64ヶ国。まさに世界最大規模の研究プロジェクトでした。
気象、地磁気、オーロラ、電離層、太陽活動、宇宙線、経緯度、氷河、重力、放射能を始め10を超える様々な分野に関する観測と調査が行われ、数多くの成果を残したことでも知られています。
ちなみに日本は日本学術会議(SCJ)を中心に、前述した観測分野のほとんど全てに参加しています。
2 国際地球観測年の歴史と変遷
国際地球観測年は、過去に2回実施された「国際極年」と呼ばれる国際協同観測事業が前身。
第1回国際極年は1882年8月~1883年8月に、第2回国際極年は50年後の1932年~1933年8月にかけて実施されました。「国際地球観測年」との大きな違いは、その観測範囲。
当初の国際極年は、南極を始めとした極地の気象や地磁気を観測の対象としていたのに対して、「国際地球観測年」では観測範囲を地球規模に拡大。
従来の国際極年の観測範囲を、大幅に拡大変更したものが「国際地球観測年(IGY)」なのです。
第二次世界大戦終戦からまだあまり時間も経っていない上に、東西は冷戦状態であった当時において、主要国が協力し合いながら観測行動を行う「国際地球観測年」は歴史的にも非常に大きな意義があったと言えます。
3 国際地球観測年の具体的な成果は?
世界40カ国以上が総力を挙げて実施した国際地球観測年では、研究や観測行動を通じて数多くの成果が報告されたことでも知られています。中でも特筆すべき成果は、以下の2つです。
3-1 ロケット・人工衛星の打ち上げ成功
IGYにおける大きな成果の1つは、アメリカと旧ソ連によるロケットと人工衛星の打ち上げです。
世界で初めて人工衛星の打ち上げに成功したのは、旧ソ連。1957年10月4日にスプートニク1号の打ち上げに成功し、西欧諸国に「スプートニク・ショック」を起こしました。
ソ連に負けじとアメリカも翌年の1月31日に、人工衛星エクスプローラ1号の打ち上げに成功。以降もアメリカとソ連の間で宇宙開発競争を巻き起こし、その後の宇宙研究の発展に大きく寄与しました。
3-2 バン・アレン帯の発見
地球の磁場に捕らえられた「バン・アレン帯」と呼ばれる特殊な放射線帯の発見も、IGYにおける成果の1つです。
名称は、物理学者のジェームズ・ヴァン・アレン氏の名前がルーツ。アメリカの打ち上げたエクスプローラ1号に搭載されていた放射線量計測器(ガイカーカウンター)の観測データからその存在が明らかになりました。
人工衛星を打ち上げたことに加え、その成果物もまた歴史的に大きな意義のあるものだったと言えるでしょう。
4 日本は国際地球観測年をきっかけに昭和基地を設営
国際地球観測年は、日本にとっても歴史的に非常に大きな意義のあるプロジェクトでした。
中でも南極観測行動への参加とそれに伴う観測拠点「昭和基地」の設営は、IGYにおける日本の最も大きな事業であったと言っても過言ではないでしょう。
とはいっても最初から事がうまく運んだわけではありません。第二次世界大戦後の日本はまだ世界からの信頼も低く、当時は南極観測行動に参加する事すら危ぶまれていた状態。
観測行動への参加を表明するも、各国からの反発は大きかったと言われています。
しかしながら、当時のIGY特別委員会(CSAGI)の議長を務めていたチャップマン氏の助力もあって、1955年5月のCSAGI会議において観測行動への参加が認められました。
1956年11月には、記念すべき第一次南極観測隊が出発。翌年1月にはリュツォ・ホルム湾の東オングル島に昭和基地を設営し、観測行動を開始します。
以降、日本は今日に至るまで観測行動を継続し、様々な科学的成果を報告しています。
5 国際地球観測年と南極条約の関係
国際地球観測年と切っても切り離せないのが、南極条約の存在。
南極条約とは、1959年に南極における科学的調査の自由と平和的利用を目的として定められた条約の1つ。実は南極条約を締結する事ができたのは、IGYの存在が大きかったと言われています。
そもそも長い間、どこの国の領土にも属してこなかった南極大陸。しかしながら、あの広大な土地を各国が放っておくはずもありません。時には、その領有権を巡り国際的な緊張が高まることもあったのです。
各国が領有権の主張を巡って対立する中、和解のきっかけを作ったのが1957年から始動したIGYでした。
IGYの中でも目玉プロジェクトとされていたのが、対立してきた国同士が共同で行う南極観測行動。これまで南極を巡って国国と国が、観測行動を通じて共に助け合いながら進行する必要がありました。
この南極観測行動がかつて例を見ないほどの大成功をおさめると、1958年にアメリカを筆頭に科学的な協力体制が取るための条約締結に向けて動き始めます。
1959年の5月に南極条約が起草されると、同年の12月には晴れて条約を調印。争いの元凶であった南極の領土権を凍結し、各国が平和的に利用するための礎を築いたのです。
国際地球観測年は科学の発展と平和の礎
今回は、意外と知られていなかった「国際地球観測年(IGY)」について、その歴史的変遷や具体的な研究成果について詳しく解説しました。
世界64ヶ国が総力を挙げて実施した国際研究プロジェクトは、現在の科学の発展に大きく寄与したと言えるでしょう。そしてIGYの功績は、単なる科学的な成果にとどまりません。
国際的な緊張が高まる時代に、国と国、そして人と人が目標に向かって協力しあうその体制は、歴史的に見ても非常に大きな意義がありました。
IGYをきっかけに国際的な共同観測プロジェクトが活発化したことも、本プロジェクトの残した大きな成果の1つと言えるでしょう。