最北の先住民集落「シオラパルク」の自然・気候・文化をご紹介

COLUMN | 2020.03.19

皆さんは「シオラパルク」という地名をご存知でしょうか?

シオラパルクはグリーンランド北部に位置する小さな村で、先住民集落としては世界最北。「エスキモーになった日本人」こと、大島育雄さんが居住していることでも有名です。

人口も少なくとても小さなシオラパルク村では、20世紀にカナダから渡来した移民の直系の子孫にあたる人々が、ささやかな生活を送っています。

今回はそんな世界最北の先住民集落「シオラパルク」にスポットを当てて、村の気候や自然、そして文化に至るまで詳しくご紹介いたします。

1 世界最北の先住民集落「シオラパルク」とは?

世界最北の先住民集落「シオラパルク」とは?

シオラパルク(Siorapaluk)は、デンマーク領 グリーンランド北部のカーナークから45km、沿岸部に位置する小さな村です。

ちなみにイヌイットを始めとした先住民が住まう集落としては、世界最北。使用する言語はエスキモー・アレウト語族の1つ、グリーンランド語。

現在も、20世紀ごろにカナダからやってきた移民の直系子孫に当たるわずか60~70人前後の村民たちが、ささやかに暮らしています。

ちなみに「先住民集落」と表記したものの、村には発電所もある上に衛星放送も視聴可能。生活用品を扱う店舗や公立図書館も存在するため、都市部に暮らす人々と同様の文明的な生活を送っています。

2 シオラパルクと狩猟文化

シオラパルクと狩猟文化

シオラパルクという村を語る上で欠かせないのが、エスキモーのお話。

かつて極北地域に住まう人々は「エスキモー」と呼ばれていました。(※ただし現在「エスキモー」という表現は差別的であるという指摘から一部では「イヌイット」と呼ばれることもあります。)

そんな彼らの文化的な特徴の1つが、狩猟。主に脂身が豊富なアザラシやセイウチを始めとした動物を捕えて食糧にすることで、極寒地を生き抜いてきたのです。

シオラパルクでも、エスキモー独特の狩猟文化が強く根付いていたことから、かつては狩猟を生業とする人々も多かったのだそう。しかしながら近年は動物保護の観点から規制も厳しくなり、狩猟で生計を立てる人はほとんどいなくなってしまいました。

加えてインフラ整備や電子デバイスの登場により、人々の生活は一変。狩猟で稼ぐことができなくなってしまった現在は、大きな街へと移住してしまうケースも多く、村民の数は年々減少しています。

3 シオラパルクの気候と自然

シオラパルクの気候と自然

3-1 独特の強い内陸風「アバンナット」

シオラパルクの気候は、寒さの厳しい典型的なツンドラ気候。

中でも「アバンナット」と呼ばれる強い内陸風が特徴的です。ちなみにイヌイットたちの間では北東方面から吹き下ろす風のことを「アバンナット」と呼んでいたのだそう。

ブリザードのように強く吹き下ろす風雪からは、極北らしい自然の厳しさと雄大さを垣間見ることができます。

3-2 長い「白夜」と「極夜」

シオラパルクでは、北極圏を始めとした高緯度地域独特の現象として知られる「白夜」と「極夜」が起こります。

「白夜」とは一日中日が昇った状態、もしくは薄明の状態が続く期間のこと。反対に「極夜」とは、一日中日が昇らない状態、もしくは薄明の状態が続く期間のことを指します。

シオラパルク村ではなんと約4ヶ月もの間、白夜と極夜の期間が続くのだとか。極夜の期間は寒さも厳しく、-40度に達することもあるようです。

4 シオラパルクと日本の意外な接点

シオラパルクと日本の意外な接点

日本から遠く離れた極北のシオラパルクですが、実は接点が多いことでも知られています。

例えば『エスキモーになった日本人(1989)』でも有名な大島育雄さんは、シオラパルクでなんと45年にも渡って猟師として生計を立てていました。

他にも観測調査遠征「アバンナットプロジェクト」を行う極地探検家の1人、山崎哲秀さんもプロジェクトの一環で数ヶ月に渡ってシオラパルクに滞在。

さらにシオラパルクに限定せずグリーンランド北部として考えるのであれば、1984年に国民栄誉賞を受賞した冒険家の植村直己さんも「日本からやってきたエスキモー」と称してエスキモーたちと共同生活を送った話も有名です。

このようにシオラパルクないしエスキモーと日本人の親交は意外と深いことがよく分かります。

過疎化するシオラパルク

かつてのエスキモー独特の狩猟文化や美しい自然が残るシオラパルク。

その一方で、村の過疎化進行が止まらないという現実も。文明化の波、そして以前のように狩猟によって生計を立てることができなくなった人々大きな街へと移住することで、村の人口は減少の一途をたどっています。

これはシオラパルクのみならず、グリーンランドの小村全般に言えることです。

そして1つ忘れてはならないのは、たとえ廃村寸前の小村であってもそこには人々の守り抜いてきた「文化」が確かに存在するということ。

技術が発達し人々の生活が豊かになった今でも、エスキモーたちの力強い文化の轍を垣間見ることのできる数少ない小村の1つであるシオラパルク。

その存在を私たちが積極的に周知して行くこともまた、村の存続の一助になるかもしれません。

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