南極観測船しらせ、その軌跡と歴代の観測船
COLUMN | 2023.01.05
南極観測船である砕氷艦しらせは、毎年11月に南極に向けて東京港晴海埠頭を出港し、5か月間にわたって南極地域観測協力行動を行っていることで知られています。
「しらせ」が担当する任務は、昭和基地への人員と物資の輸送、野外観測支援、基地設営支援、海洋観測支援などなど、多岐にわたりながらも極めて重要。
人類、文化にとって大切な業務を行なっている砕氷艦「しらせ」にスポットを当てていきましょう。
1 砕氷艦「しらせ」、その源流
現在の南極観測とは、国立極地研究所の科学観測・研究集団を観測隊として派遣することを意味しています。第1次南極地域観測隊の派遣決定が1956年だったため、なんと60年以上も継続されている国家事業となっています。
日本の南極観測船・砕氷艦には代々の歴史が。
日本の南極観測船としては、「宗谷」(1957~62年)、「ふじ」(65~82年)、「しらせ」(83~2008年)。現在の4代目しらせは、25年間の任務を終えて引退した「しらせ」を継承しています。
艦名(船名)の由来
「しらせ」は、昭和基地の南方にある「白瀬氷河」から命名されています。もとは南極探検家である白瀬矗(しらせのぶ)中尉の名に由来しています。
基本的に海上自衛隊の砕氷艦の命名には名所旧跡が採用されることになっているため、通常であれば日本で初めて南極に挑んだ白瀬矗の名を採用することは出来ませんでした。しかし、日本の南極観測隊は南極昭和基地の南方に位置する無名の氷河に対して白瀬矗の功績を称えて「白瀬氷河」と命名したのです。
白瀬氷河に由来するしらせの艦名は白瀬矗の名前と間接的につながっているのです。
2 歴代南極観測船の中でも最多渡航回数
しらせは日本の歴代の南極観測船において南極渡航回数が最も多い船でもあります。
南極昭和基地への接岸回数で見ても、
- 宗谷(6回中0回)
- ふじ(18回中6回)
- しらせ5002(25回中24回)
- しらせ5003(10回中8回)
となっており、歴代の南極観測船の中で最多を誇ります。
さらに氷海航海時には氷の中で身動きが取れなくなっていたオーストラリアの砕氷船を2回救出するなど、幅広い活動も行っていることでも知られています。
3万馬力のエンジンと3軸のスクリューによって厚さ1.5mの氷を時速3ノットで連続航行していくことが可能な性能を持っていたため、昭和基地の設備周りや住環境が飛躍的に進化し、研究成果も増加しています。
3 これまでの南極観測船の軌跡
現在のしらせまでに様々な南極観測船が海を渡りました。しらせの先輩に当たる南極観測船のこれまでを振り返ってみましょう。
3-1 南極観測船「宗谷」(1956年~1965年/1次~23次南極観測)
日本初の南極観測船となった「宗谷」。
実は南極観測のために建造されたものではなく、ソビエト連邦が川南工業松尾造船所(昭和12年より香焼島造船所に社名変更)に発注した3隻の耐氷型貨物船のうちの1つで1938(昭和13年)に建造されました。
当時の船名は「ボロチャエベツ」。
ところが海軍の要請もあって、結局は3隻ともソ連に引き渡さないことに決定しました。「ボロチャエベツ」は「地領(ちりょう)丸」という名前で辰南(たつなみ)商船という、神戸の辰馬(たつま)汽船と川南工業が共同で設立した民間新会社の貨物船となります。
鮮やかな若草色に塗られて運航を開始したこの船は様々な会社にチャーターされ、中国へ荷物を運んだり、当時日本領だったカムチャッカ半島近くの占守島までカニ工場で使う機材や資材などを運んだりして活躍していました。
その後、終戦を迎えた後の1950(昭和25)年からは海上保安庁の灯台補給船として活躍。
そして、1956(昭和31)年から1965(昭和41)年まで、海上保安庁の南極観測船として第1次~第6次南極観測に従事することになりました。
南極観測船としては短い活躍期間でしたが、後進の「ふじ」に任務を譲った後も、海上保安庁の巡視船として活躍を続けます。退役後の1979(昭和54)年5月から、東京都お台場にある船の科学館前に係留され、永久保存されています。
3-2 南極観測船「ふじ」(1965年~1983年/7次~24次南極観測)
2代目日本の南極観測船となった「ふじ」。
日本鋼管で建造されました。
南極観測が海上保安庁から海上自衛隊に交代したため、この「ふじ」は海上自衛隊の砕氷船として誕生します。
全長100m、幅 22m、深さ11.8m、最大速力17ノット。厚さ80cmまでの海氷を連続砕氷可能という性能で、定員は200人に加えて南極観測隊員35名、ヘリコプターを3機搭載することができます。また、毎年500t の物資を運搬しました。
初代「しらせ」登場に伴い現役を退きます。退役後は、1985(昭和60)年から名古屋市のガーデンふ頭に保存展示されています。
3-3 南極観測船「初代しらせ」(1983年~2008年/第25次~第49次南極観測)
3代目日本の南極観測船となった「初代しらせ」。やはり海上自衛隊の砕氷艦で、日本鋼管鶴見で建造されます。
全長134m、幅28m、深さ14.5m、速力19ノットと、「ふじ」よりも大型化。自衛艦としても最大級の艦艇であり、厚さ1.5mの海氷を3ノットの速度で連続砕氷することができる高性能な船でした。
定員は170名に加え南極観測隊員60名。ヘリコプターは「ふじ」同様に3機搭載でき、物資は毎年1000t 運搬するという馬力。これは実に「ふじ」の2倍の量に相当します。
この「しらせ」就役により、氷中に南極観測船が閉じ込められてしまい海外の船に救助を求めるようなことがほぼ無くなります。接岸できなかったのはなんとたったの1度だけ。逆にオーストラリアの船舶を2度救出しています。
長らく活躍してきた初代「しらせ」でしたが2008年に引退。
保存先に名乗り出たところもありましたが、文部科学省は首を縦に振らずについに解体が決定されます。
しかし気象情報会社ウェザーニューズの創業者である「石橋博良」が宗谷・ふじと続いた日本の南極観測船がそれぞれ保存運営されているのにも関わらずしらせをスクラップにすることに関して異を唱えます。
しらせの後利用委員会に対して再審議した結果、株式会社ウェザーニューズが「環境のシンボルとして」活用することを提案し、2010年5月2日より船橋港に係留、その存在を広く知ってもらうため名称を平がな表記の「しらせ」からローマ字表記の「SHIRASE」に変更しています。
3-4 南極観測船「2代目しらせ」(2009年~)
4代目となる南極観測船は、公募の結果「しらせ」の名称を引き継ぐことに。
全長138m、幅28m、深さ15.9mと、初代「しらせ」より少しだけ大型化。
速力は15ノットです。
また、定員も179名に加え南極観測隊員80名となり、特に観測隊員が増員されています。結果としてより多くの研究者を運べるようになりました。
初代「しらせ」が建造された当時と異なり、現在は乗り物から排出される様々な環境汚染原因の物質について規制される状況下。この2代目「しらせ」は海洋汚染を防ぐステンレス外装とし、またフロンを使わず、一酸化炭素や窒素酸化物の排出も減少。さらに、船舶の中で出たゴミを分別の上で圧縮し、格納庫に入れて持ち帰れるような配慮も行なっています。
また、これまでの砕氷と異なり、海水を放出し氷の上の雪をぬらし、氷を割りやすくして進みます。これにより、砕氷に伴う燃料を節約し、二酸化炭素の排出量も減少させています。
しらせ、第64次南極地域観測へ
2022年11月11日(金)から2023年4月10日(月)までの日程で、第64次南極地域観測協力を実施しています。
出港後は、11月26日にオーストラリア・フリーマントルに入港し、12月1日に同地を出港、12月6日頃に南緯55度線を通過後、12月下旬に昭和基地至近のリュツォ・ホルム湾へ到着する予定です。往路の輸送人員は69名、輸送物資は約1,120トン。
復路は人員73名、物資約280トンを搭載し2023年1月下旬に南極を出発、トッテン氷河沖を経由し、3月14日頃に南緯55度線を通過、3月20日から3月25日までフリーマントルに寄港し、4月10日に東京・青海へ入港するというスケジュールとなっています。
人類、文化にとって大切な業務を行なっている砕氷艦「しらせ」。これからもその歩みに注目していきたいところです。