北極圏に住む多様な民族やその歴史とは
COLUMN | 2019.11.19
北極の民族と聞けば多くの方が「イヌイト(イヌイット)」を想像するのではないでしょうか?
実は民族は単一ではなく、北アメリカとシベリアには森林限界より北の場所を生活の舞台とする民族が多数存在しています。
北極圏の定義である「北緯66度33分」。ですが、人間の生活と文化を研究する人類学では、
- 緯度よりも永久凍土が連続的に広がること
- 年間平均温度が0℃以下
- 最も暖かい月間の温度が10℃以下
- 樹木(高木)が育たない環境
などの環境、すなわちツンドラ地帯を北極地帯として考えることも。
今回は「北緯66度33分」にこだわらず北極圏、極北地帯ツンドラの民族についてご紹介していきます。
1 極北地帯の民族、イヌイトとユッピク
グリーンランドから東部チュコトカ半島にかけて分布するのが、イヌイトとユッピク。
かつてはこの2つの民族を「エスキモー」と呼称していましたが、民族としての違いが大きいために近年では一括りにエスキモーと呼ばれることは少なくなってきたようです。
彼らが使うエスキモー・アリュート語系のイヌイト語はグリーンランドから北西アラスカの全域において相互理解可能と言われていますが、ユピック諸語は5つの言語に分かれているために相互理解が非常に困難。
この言語の分離はなんと9000年も前のことだとされています。
2 エスキモーの移動と文化の変遷
グリーンランドを含む北アメリカの極北地帯では4600年にわたって遺伝的に由来を異にする集団の入れ替えが行われていました。
北アメリカの極北地帯に最初に定着したのはパレオ・エスキモーと言われる集団。
第一回に定着したパレオ・エスキモーはおよそ4600年前に北東シベリアからベーリング海峡を渡ってグリーンランドまでたどり着きましたが、移動ルートはまだ解明されていないんだとか。第二回に定着したパレオ・エスキモーの移動は約3000年前。
時は経ちおよそ1000年前に現在のイヌイトの祖先が渡米しました。
現在のイヌイト、ユピック族の祖先であるネオ・エスキモーがベーリング海峡域に出現。
彼らのチューレ文化がかつてのパレオ・エスキモー文化にとって代わり、アメリカの極北地帯全体に広がっていったと言われています。
3 極北に住む民族の種類と言語
様々な民族が入り混じっており、時代によって民族の構成は変化しています。
下記のように、歴史を遡っても極北地帯にもたくさんの民族がいることがわかります。
民族名称 | 居住域 | 由来・起源 | 言語 |
エスキモー | チュコトカ半島〜北米極北地帯 | 4600年前〜現在 | |
パレオ・エスキモー | ベーリング海峡〜グリーンランド | 北東アジア(推定)/4600年前に北東シベリア〜グリーンランドへ | 不明 |
ネオ・エスキモー | ベーリング海峡〜グリーンランド | 1000年前にベーリング海峡地域に出現 | エスキモー・アリュート語系 |
ユッピク | チュコトカ半島〜西アラスカ | ネオ・エスキモーに由来 | ユッピク諸語 |
イヌイト | 北東アラスカ〜グリーンランド | ネオ・エスキモーに由来 | イヌイト諸語 |
チュクチ | 極北シベリア北東部 | 2000年前にオホーツク海北辺沿岸北上 | チュクチ |
コリヤーク | カムチャッカ半島北部 | 当時の新石器文化由来 | コリヤーク語 |
エヴェン | 東シベリア | 2000年前にバイカル湖周辺から北上 | ツングース系 |
ユカギール | 東シベリア〜アラゼア川流域 | 不詳 | パレオ・アジア系 |
サハ | 中央シベリア北部 | 13世紀にバイカル湖周辺から北上 | テュルク系 |
ドルガン | 中央シベリア北部 | 19世紀に複数の民族混合 | テュルク系 |
ヌガナサン | タイミール半島 | 5世紀にウラル山脈から | サモエード系 |
エヴェンキ | 北部中国〜中央シベリア北部 | 10世紀にバイカル湖周辺から北上 | テュルク系 |
エネツ | タイミール半島西部 | 5世紀にバイカル湖周辺から北上 | エネツ語 |
ネネツ | コラ半島〜ノバヤ・ゼムリャ | 不詳 | サモエード系 |
サミ | コラ半島〜北欧北部 | 当時の新石器文化由来 | サミ語 |
3-1 シベリアの民族と言語
極北地帯のシベリアには多くの民族が分布していますが、西アジアと東アジアの民族が入り混じっているため、時代によって分布や民族構成が変化しています。
シベリアの東側、チュコトカ半島には主にチュクチ(自称リグオラベトルアン)が定住。彼らの話すチュクチ語はパレオ・アジア諸語に属しますが、詳しいルーツはわかっていないんだとか。
2000年前、あるいはもう少し古い時期にオホーツク海の北辺沿岸から北上して、先住のユッピクの祖先をベーリング海峡周辺に追いやり、チュコトカ半島のほぼ全域を占領したと推定されています。
内陸に定住したチュクチは狩猟とトナカイ遊牧、沿岸のチュクチは海獣や野生トナカイ狩猟に生活の基盤を置いてました。
チュクチ人口約1万5000人のうち80%ほどはチュクチ語を母語としています。
3-2 カムチャッカ半島の民族と言語
カムチャッカ半島の北東部に住む民族、コリヤーク。民族的な由来は旧石器時代に遡るとも言われていますが、由来に関する遺伝学的な理由は不明。
かつてはラムート(自称エヴェン)と呼ばれ、東シベリアに広く分布していました。
かねてよりトナカイ放牧や海獣猟を行なっていましたが、1920年のソビエト政府の定住政策の結果、伝統的な社会と文化は継承されなくなってしまいました。
3-3 中央・東シベリアの民族と言語
ツンドラ地帯で生活するツンドラ・ユカギール(自称ヴァドル)は東シベリアのアラゼヤ川流域に済み、採集や狩猟、小規模のトナカイ飼育を行なって生活を営んでいます。
シベリアで最も多い北極民族はかつてヤクートと呼ばれていたサハ。彼らはトナカイ飼育以外にも牛馬飼育が伝統的な生業として知られています。
中央シベリアにはドルガンが定住。様々な民族が混ざって生活を行なってきました。
タイミール半島のサエモード、南部のエヴァンキ、エネツなど様々な民族が分布しているエリアでもあります。
3-4 西シベリア・北欧の民族と言語
東シベリアにも多く分布するネネツ。
ヨーロッパに近いところに住んでいるネネツはロシア語を日常的に話すこともあるんだとか。かつてはラップ人とも呼ばれた彼らのサミ言語は10の方言に分かれており、相互理解が困難だったとも。
5000年以上の歴史があるとされるサミ文化か当時の新石器文化に由来すると言われています。
彼らも15世紀ごろからトナカイ飼育をはじめ、生活を行なっています。
4 現代社会と先住民族
北米大陸のイヌイト/ユッピクとその他の先住民(インディアン)との間には接触はあったものの、社会や言語などには大きな変化はなかったようです。
一方でシベリアでは民族や言語集団は絶えず接触、ないしは衝突を繰り返してきたため、民族そのものの形成まで影響しあった歴史が。
北アメリカとシベリアの極北民族は支配してきた国によって歴史や現状が異なります。
4-1 グリーンランドの場合
グリーンランドを管轄するデンマークは政府に依存することを防ぐために1950年代まではイヌイト従来の生活を温存する政策を実施していました。
強制移住を行わず、教育は主にグリーンランド・イヌイト語で行われてきたため、現在でもイヌイト語は健在です。
しかし1950年代以降の近代化政策の影響で、グリーンランド・イヌイトの80%は南西グリーンランドの大きな街に住むことになりました。
一方、重点的に狩猟を行なっているのはシオラパルクなどの北部グリーンランドに限られています。
4-2 カナダの場合
カナダでは19世紀後半から20世紀前半にかけて子供を親元から引き離し全寮制の学校に強制就学させ英語を強要していました。
そのためイヌイト語を母語とするカナダ・イヌイトは68%で、まだ減少していると言われています。
アラスカでもほぼ同様の政策を行なっていたため、地域差はあるものの民族語話者は10〜40%程度にとどまっています。
4-3 シベリアの場合
シベリアではロシア政府が17世紀か毛皮などを税として徴収したヤサーク(yasak)を課したため、それを収めるために先住民の多くは従来の狩猟などの活動から遠ざかることに。
そのため政府が要求していたクロテンのワナ猟に従事しなくてはならなくなってしまいました。
植民地化を進めた旧ソ連政府が極北地帯民族の社会の安定のため、18世紀後半から東のチュコトカ半島やカムチャッカ半島のサハ、チュクチ、コリヤーク、西シベリアのドルガン、ヌガナサンやネネツの一部に対し、トナカイ生産経済を導入しました。
その結果として伝統生活は大きく変貌し、さらに1920年代にソビエト政権によって定住化を促進するための行政集落が作られました。
季節移動の代わりに定住村が生活の中心に。定住生活になってからでも独自の文化と風習を保持しており、現代でも先住民族らしさは損なわれていません。
多様な民族がいる極北
「エスキモー」「イヌイット」などは聞き馴染みがありますが、他の民族の名前はなかなか日常で触れる機会はありませんよね。
どの国、地域にも多様な民族が生活し、様々な歴史的背景を持って生活をしていることを考えると、少し世界の見方が変わるかもしれません。
人類の多様性についてわずかでも考えるきっかけになれば幸いです。