不思議な力が宿る場所「日本三大霊山」

COLUMN | 2023.08.08

一般的に「日本三霊山」は富士山、白山、立山(もしくは木曽御嶽山)と言われています。

しかし別名称「日本三大霊山」ではまったく別の山々が名を連ねていることをご存知でしょうか?

日本三大霊山は神秘的な場所や深い歴史を感じられる場所も多く、登山スポットとしても人気があります。

今回は霊場として古くから歴史を刻んでいる霊山と、その所以を覗いてみましょう。

1 日本三大霊山とは

神社や仏閣などの宗教施設やゆかりの地など、霊験あらたかな場所を霊場(れいば)と呼びます。

霊場は古くから信仰の対象となっており、今でも修験者が行き交っている場所も存在しています。

このような場所は山岳信仰に根ざしたものも多く、一般的には特に大規模な場所や由緒ある恐山・比叡山・高野山が「日本三大霊山」または「日本三大霊場」とされています。

霊場は不思議な力が宿る場所として知られ、現代では多くの観光客で賑わっています。

2 「日本三霊山」と「日本三大霊山」の違い

諸説はありますが、古くから山岳信仰の対象となっている山々の中でも特によく知られた場所である富士山・白山・立山(もしくは御嶽山、岩船山)のことを日本三霊山と呼びます。

山岳信仰の中心地でもあったこれらの山々は神体山とされており、不思議な力があると昔から信じられています。

三霊山はそれぞれが表す象徴に違いがあり、立山は男性性を、白山は女性性、富士山は男性性と女性性を合わせた二元性を象徴しています。

3 日本三大霊山①恐山

青森県下北半島にある日本三大霊山の恐山は、単独の山ではなく複数の火山の総称。

一帯は直径約4キロメートルの盆地で、盆地の外輪山である釜臥山・大尽山などの八峰と、盆地の底にできたカルデラ湖の宇曽利山湖で構成されています。

宇曽利湖や霊場周辺には、血の池地獄や修羅王地獄、死者を弔う石積と風車がなどがある賽の河原など、非現実の世界に足を踏み入れたような感覚になりかもしれません。

比叡山や高野山とは異なる火山性地形を活かした日本三大霊山としても知られています。恐山は活火山で、硫黄分の多い土壌とあちこちから噴き出す火山性ガスなど、通常の山とは景観が異なることから周辺地域の住人は、死者の魂が集まる場所と考えられ、その信仰は今でも引き継がれています。

最高峰は釜臥山で標高879m。

戦後から行われるようになった、死者の言葉を伝えてくれるイタコによる口寄せも「恐山=イタコ」として知られるようになりました。

3-1 恐山の歴史

日本三大霊山の恐山は平安時代の862年、慈覚大師円仁が夢のお告げによって、地蔵尊を祀ったことが始まりと伝えられています。

円仁は、岩手県平泉の中尊寺や毛越寺、山形県の立石寺なども開山した天台宗の高僧です。

円仁が唐での留学中に、夢の「東方に30日余り歩いた場所に霊山があり、地蔵菩薩一体を納めて仏道を広めよ」とのお告げがありました。お告げに従い苦労の末に着いた場所が日本三大霊山になった恐山だったようです。

3-2 恐山の特徴・見どころ

恐山には、むき出しの岩肌や、エメラルド色の宇曾利山湖、源泉かけ流しの温泉など、見どころがたくさん。

参拝者は、あの世との境界にあるとされる三途川(さんずのかわ、正津川)に架かる太鼓橋を渡って寺へと向かいます。

総門をくぐり、参道を通って本尊の延命地蔵菩薩が安置されている地蔵堂本殿の脇へ進むと、まるでこの世とは思えないような風景が広がります。

火山性ガスが吹き上がり、硫黄臭が充満する岩場にはガスが噴出する「無間(むげん)地獄」「修羅王地獄」「重罪地獄」などの地獄が点在しています。

岩場を下ると「血の池地獄」や、三途川の河原という「賽の河原」も。そこを抜けると一転して極楽のような風景、宇曾利湖の翡翠色の湖水に白砂の浜が映える「極楽浜」が広がっています。

4 日本三大霊山②比叡山

京都と滋賀の県境にある日本三大霊山の比叡山は、二つの山の総称。

比叡山は、天台宗の総本山。平安時代に開山されてから、現在まで山岳信仰の山として厳しい修行が受け継がれているのも特徴で「日本仏教の母山」とも言われているほどの霊山です。

一つは、滋賀県大津市と京都市左京区の県境にある「大比叡」。もう一つは京都市左京区の「四明岳」です。

京都南部からは重厚感のある構えの二つの峰が見え、京都御所付近からは、大比叡の頂が四明岳に隠れて三角形に見えることから「都富士」とも呼ばれています。

また天台宗の総本山である延暦寺があることでも有名な山で、織田信長による「比叡山の焼き討ち」を歴史の教科書で学んだ方も多いのではないでしょうか。この織田信長の焼き討ちでは僧侶をはじめ、女子供も合わせて1,500人もの犠牲が出たとも言われています。

また比叡山は、1994年に延暦寺がユネスコの世界文化遺産に登録されたこともあり、多くの参拝者と登山者が訪れる人気の山となっています。比叡山へのアクセスは、ケーブルカーや比叡山ドライブウェイなどを経由し自家用車で出掛けられるのも嬉しいポイントです。

4-1 比叡山の歴史

日本三大霊山である比叡山(延暦寺)の歴史的な記述は古事記から始まります。785年、入山して薬師如来をご本尊とする小さな庵を結んだ天台宗の開祖である最澄によって、国家鎮護のお寺として名を馳せるようになったそうです。

最澄は根本中堂などの堂塔を創建し、平安貴族の支持を集めました。比叡山は法然や親鸞、一遍などの各宗派を開いた人物が修行した場所としても知られており、日本仏教の母山とも呼ばれています。

4-2 比叡山の特徴・見どころ

山上から東麓までの「東塔」「西塔」「横川中堂」の3地域には約100のお堂が存在しています。中でも有名なのが、不滅の宝刀を1,200年も灯し続けている根本中堂がある「東塔」地域です。

根本中堂の仏様は参拝者と同じ目線に配置されてあり、身近に仏様が感じられる場所です。他には、東塔や大講堂に文殊楼、阿弥陀堂なども見どころです。

5 日本三大霊山③高野山

和歌山県北部にある高野山ですが、実際に高野山という山はなく、今来峰や宝珠峰など8つの峰に囲まれた盆地のことを指しています。

高野山は、今来峰・宝珠峰・鉢伏山などの八峰に囲まれた盆地ですが、8つの峰に囲まれた地形そのものが蓮の花と形容され、仏教の聖地とされました。

標高800メートル・東西6キロメートル・南北約3キロメートルの山上盆地に、金堂を中心に117寺や中・高・大学などもある、3,000人ほどが暮らしています。

高野山は、平安時代に嵯峨天皇からの命により、弘法大師(空海)によって開山された真言宗の総本山としても知られています。

前述の比叡山延暦寺と同様に、織田信長と対立し軍事的な圧力「高野攻め」を受けています。織田信長と高野山との間に大きな戦闘等があったかは諸説ありますが、最終的には豊臣秀吉とも対立し、この時には大規模な戦闘が行われ、多大な犠牲を出したため高野山は壊滅の危機に瀕したともいわれています。

平安時代から現在に至るまで、さまざまな歴史を潜り抜けて来た高野山は2004年にユネスコの世界遺産に登録されており、昔も今も変わらず、日本仏教の聖地のひとつとして人々から厚い信仰を受けています。

5-2 高野山の歴史

高野山は、空海によって平安時代に開かれた聖地。空海は、真言密教の根本中堂を人里離れた場所に建立する願いを持っており、嵯峨天皇がその願いを聞き入れて平安時代の816年に当地を下賜されたと言われています。

10世紀後半に弘法大師の入場信仰が生まれ、高野山を弥勒浄土、または阿弥陀浄土と考える信仰が盛り上がり、一般民衆から崇拝されるようになって知名度が広がっていきます。

5-3 高野山の特徴・見どころ

高野山の見どころは、「奥ノ院」と「壇上伽藍」の二大聖地。弘法大師入定の地である奥之院には、数々の墓石や慰霊碑、供養塔があり、民族などに関係なく受け入れる寛容さが示されています。

壇上伽藍は、空海が高野山に真言密教の根本道場を開くため、一番に建立した場所。

境内には高さ48.5メートルの根本大塔や、秘仏本尊の薬師如来を祀って重要な行事を執り行う金堂などの、19もの建造物が並んでいます。

日本三大霊山の登山で神聖な空気を感じる

日本三大霊山は霊場のため、神仏の霊験あらたかな場所。

車でも行けますが、登山道もあるので麓からぜひ挑戦したいもの。自分の足で日本三大霊山に参拝すると、より一層のご利益があるかもしれません。

日本三霊山とは異なる魅力を持った山々には、現在でも多くの修験者や参詣する人々が訪れています。

どこか不思議な力を感じられる神聖な空気を体感しに、ぜひ訪れてみてください。

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